「日本の大逆転」中沢新一。
人類の歴史を通史し、現在を第八エネルギー革命と位置づける。
原子力発電は、「小さな太陽」であり、光合成などを介さない無媒介の過激なエネルギーであり制御は不可能。
自然エネルギーへの転換は、新しい現実を理解するために、新しい思考法の開発が必要、いまの経済学にはこの現象を正しく理解するための科学的方法は存在しない。
第五次エネルギー革命(産業革命の時代)以降、徹頭徹尾「モダン」な思考法によって固められているため、なにか新しい現実が出現してくるとき、これまでの正統派経済学のやり方では、新しい現実そのものを否定して、古い思考法に適合する現実だけを現実として認める、という態度に陥りかねない。
「資本主義」と「原子力技術」と「一神教」は類似性が高い。
これらは外部の生態圏と切りはなし無媒介な状態で、閉鎖的な独自の活動(トーラス形状)になりやすい特徴を持つ。
第八エネルギー革命は切り離された媒介を、再び接続することである。
この外部との接続を筆者は「贈与」と呼ぶ。
資本主義やエネルギー資源や現代思想には「贈与」が枯渇している。
次世代のモデルは「贈与」との接続が不可欠であろう。
資本主義などのトーラスと、外部との接続を持つキアスム構造(インターフェース)が一体となったモデルが考えられる。

人の思考も無意識という外部に接続していくだろう、これはappleやgoogleなどが進めている方向性だろう。資本主義の命であるイノヴェーションは現代では無意識領域との境界面でしか、発生しなくなっている。「労働」によってはひきだすことができない。適度な休暇と自由な環境のなかでしか良い「贈与」はおこらない。
第一次産業は太陽と贈与変換の部分がとても大きな意味をもっているが、市場では農作物を「商品価値」に変えてしまい、正統派経済学では第一次産業は影が薄くなり、贈与的関係性がみえなくなっている。ここに贈与的関係を組み込んだ経済理論の必要性がある、原型があるとすると18世紀フランスのフランソワ・ケネーのよる「フィジオクラシー」(重農主義)がある。
日本には外部との境界には、遮断力の強い壁ではなく、透過性にすぐれたインターフェースの仕組みが設けられてきた。外部からの力を幾重にも媒介をほどこしながら、内部に取り込んでいく仕組みである。堤防の雁行構造や「里山」など。
「里山」は自然のつくり出す複雑な秩序を制圧することがないようにできている。そこでは人間が農業をおこなったが、その同じ場所で生きる動物や植物の要求をも組み込みながら、人工と自然のハイブリットな秩序を形成することをめざされた。
この文明は転換する自然の理法にたえずさらされていたものだから、「世界は無常である」、と深く実感されていたのだった。
産業革命以降の大きな変革の時期にきている、非常にゆっくり(百年単位)ではあるが確実に変化せざる負えない。この変化を既存の思考法に捕われることなく見極めなければ、混乱は長びくのではないだろうか。キーワードは「贈与」を取り込むということなんだろうなあ。